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会田誠展に対する森田成也氏の見解に対する意見。

2014.03.27.00:13

以前少しtwitterでつぶやいたpapsjpの「森美術館問題と性暴力表現(不磨書房:2013)」に記載された森田成也さんの論説に対する意見を述べてみようと思う。

彼は在特会の反韓デモと森美術館の会田誠展における展示を以下のように比較をしている。

以下引用
いったい、この2つのあいだには、どんな根本的な違いがあるのだろうか? 会田誠の絵は単なる絵であって、実際の少女が四肢切断されているわけではないという主張はよく耳にする。だが、在特会デモで掲げられたプラカードも単なる言葉であって、実際に韓国人が殺されたわけではない。実際の少女が使われていないという理由で森美術館の展示が正当化しうるのなら、実際の韓国人が使われていないという理由で在特会デモも正当化されうるだろう。あるいは、会田誠は世界的に著名なアーティストであり、その絵は芸術的だが、在特会デモを組織したのは単なる「市民」であって、その殴り書きのプラカードに芸術性はないということだろうか? 芸術的に表現された兵とスピーチは許されるのか? 在特会デモが手書きのプラカードではなく、会田誠並みのすぐれた技量で韓国人虐殺を示唆する絵をプラカードに描いていたらよかったのか? むしろ、世界的アーティストが日本を代表する美術館で性差別的ヘイト展をやる方がよっぽど悪質で有害ではないのか?
以上引用(赤字は引用者による)

どうだろうか。あの在特会デモにおいて素晴らしい技量の韓国人虐殺絵画を用いてデモが行われていた場合、それと、会田誠展を比較してどちらが悪質で有害か。という問題提起だ。私は当然に前者が悪質だと思うが彼は違うらしい。これに関しては人それぞれというほかないが、私と同じ感覚の持ち主が多いことを私は望む。

なぜ、私は、在特会デモの方が悪質だと思うのか。それは、聴衆に対して「殺す」というメッセージを伝えているからだと思う。これはおそらくだが、会田誠展を見に行った女性のうちで会田誠から「お前の四肢を切断し、首輪をしてやる」というメッセージを受け取ったという人は非常に少数なのだと思う(だからこそ、あの展示に多数の女性も足を運んだのだと思う)。この違いを明確化することなく、比較してどちらが有害か論じ、ましてや会田誠展の方が悪質で有害などとすることは、在特会デモの悪質性を過小評価しているのではないか。

これがもし仮に、女性が多数集まる場所に赴き、会田誠の絵画を掲げ、「お前らは四肢を切り刻まれて当然の存在だ」というような主張をしながら歩き回るデモと比較した場合なら、どうなのだろうか。これはまさに在特会がやったことをそのまま置き換えたものに対応するだろう。それでも彼は「世界的アーティストが日本を代表する美術館で性差別的ヘイト展をやる方がよっぽど悪質で有害」と考えるのだろうか。正直私には、現実そこにある危機というものが見えていないものが、自分にとって不快度の高い表現に対して過大に危険性を評価しているようにしかみえない。
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